チンク好きの間では「ご先祖さま」なんて呼ばれたりもしますが、元祖チンクエチェントは初代500のトポリーノ(Topolino)です。
戦前にデビューした、今では現存車も希少なクラシックカーなので、多くの人がイメージするFIAT500とはだいぶ異なる印象ですが、やはり元祖のプロトタイプですから見慣れてくると随所に似ている所が見つかりますよね。
タイトルではわざと「トッポリーノ」という書き方をしましたけど、イタリア語のスペルと発音的には「トポリーノ」でしょうね。トヨタ博物館の表記が「トッポリーノ」で、わりと一般的にもGoogle的にも本流っぽいのだけれど、ボクの勝手な推測ですが昭和の頃のテレビで放映されていた「トッポ・ジージョ」というネズミのキャラクターが遠因ではないかと…(個人的な想像です笑)
この「Topo トーポ(トッポ)」はイタリア語でネズミという意味です。
以前に別のトポリーノ記事でも触れましたが、かの大女優オードリー・ヘップバーンの『ローマの休日』で乗ってる車がコイツなんですよね♪
どちらかと言うとアン王女が新聞記者と二人乗りしてたスクーターの「ベスパ Vespa」の方が印象的で、世界的にも認識されてる感はありますけど感慨深いものです。実際ボクも昔は知らなかったので、大人になってから感激したものです。
↓ちなみに、ここに五右衛門が乗ってるのも大人になってから知った(笑)
■初代チンクエチェントは随所に航空機を思わせる設計
さてさて、トッポリーノこと初代500の歴史に話を戻しましょう。
昔ながらのちょっとディープめなイタリア車好きの方だと知ってる人が多いと思いますが、フィアット伝説のエンジニアと謳われるダンテ・ジアコーザ(Dante Giacosa)がフィアット500の生みの親。
「ジャコーザ方式」と呼ばれる横置きエンジンと前輪駆動のトランスミッションをはじめ、イタリアのみならず自動車史に残る偉大な発明をいくつも手がけたパイオニア中のパイオニアです。そんな歴史的な人物の出世作となったのが、まさに1936年生まれの初代500(チンクエチェント)なのです。
1929年の世界大恐慌は、イタリア経済にも深刻なカゲを落とし、当時のフィアット社も例外でなく販売台数はガタ落ちとなり存続が危機的状況でした。そんな渦中のフィアット社は、新しいコンセプトの超小型車の開発の必要性を感じ、くしくも直後に勃発する第一次世界大戦において革新的な発達が成される「航空機」の技術に着目します。
自動車部門よりも独創的な発想を描くことに秀でていたフィアット航空機部門に新しいフラッグシップとなる自動車開発の話を持っていくことになりました。なんとなく、1970年代の初代パンダを社外のジウジアーロに依頼したときの構図に似ていますよね。要所要所でこういった思い切りの良い決断が行える所が、フィアットの偉大たりえる所以かもしれません。
その航空機部門でアントニオ・フェッシア(戦後ランチアに移りフルヴィア等を開発)の部下として働いていた男が、ダンテ・ジャコーザ、その人だったのであります。
まず、車重の軽量化するためにフレームは前後の車軸の間だけとし、さらには航空機のように丸い穴を開けて軽量化を徹底しました。そして水冷直列4気筒のわずか569cc(車名の500の由来)のエンジンは前輪軸の前、つまり車体の前端に置きました。
そう、初代のフィアット500はフロントエンジンなんですよね。一般的なチンクエチェント像である二代目チンク(Nuova 500 =新500)はリアエンジンのRRで、今の新しいニューチンクは現代的なFRですから、エンジンのレイアウトについてだけ言えば先祖返りしたわけですね^^
しかしながら、当時の車におけるFRのレイアウトは飛行機を思わせる設計で、新しい考え方でした。そのおかげで、わずか2000mmのホイールベースで、大人が楽に乗れるキャビンを実現、しかも3215✕1275✕1377mmのボディはわずか535kgしかなかったので、たったの13馬力であるにも関わらず時速85kmも出せたというから驚きです。
どことなく愛嬌のある顔つきとフォルムは、たしかにトッポリーノの愛称で親しまれたのも頷けます。先述のとおり「トーポ」はネズミという意味のイタリア語。そして「トポリーノ」という言い方になると、小さめなハツカネズミやコマネズミ、子ネズミ、赤ちゃんネズミのことを指します。
そんな初代500は戦前から戦後にかけて大ヒットを生み、イタリア最初の大衆車・国民車としてイタリアのモータリゼーションに多大なる寄与をすることになりましたが、欠点とされたのは2人乗りだったこと。当時の技術でのFRレイアウトでは鼻先が長くなり、後部座席シートのスペースを確保することができず2人しか乗れなかったわけです。(ローマの休日ではグレゴリー・ペックが立ったまま後ろに乗り込んでサンルーフから上半身を出している笑)
それでも不屈の男ダンテ・ジャコーザは、持ち前のアイデアで後にこの事案もクリアしちゃいますが。
戦後の1948年に発表した初代チンクエチェントのアップグレード版である500Bでは、ルーフを伸ばして4人乗りにしたワゴンタイプの「ジャルディニエラ」を追加しました。
翌年にはグリルを横長に変えた最終型の500Cを出し、そちらにもジャルディニエラを設定、セダンを上回る販売数をマークしたのでした。
そこからチンクエチェントの系譜が始まり、チンクの兄貴にあたる600(セイチェント)を経て、ヌオーバ500(Nuova500)こと”FIAT500”が生み出され、戦後イタリア人のアシクルマとして歴史的な名車となり、さらには現在の新型フィアット500へと…かれこれ90年にも及ぶ血脈…
いやはや凄い事です。
もうすぐEV化、ハイブリッド化も成されるでしょうし、まるで大河ドラマみたい。NHKにとは言いませんからRAI(イタリアの国営放送)あたりで制作して欲しいものです(熱望)
※もう少し加筆・画像添付します※
※Coming Soon!※
そういえば、2017年のフィアットバースデー(FIAT公式イベント)でも、ゲストにいらしてた世界的バイオリニストの古澤巌さんが、所有のトポリーノを展示して下さってましたね♪