アバルト/ABARTH フィアット500(2007) イタリアの街並みとFIAT車 FIAT全般

フィアットとアバルトが贈るよろこびと歓びのクリスマス -Buon Natale da Torino- ナターレの思い出と共に

投稿日:2018-11-23 更新日:

キービジュアルが相変わらず上手なFIATさんなので、ついついアップしたくなっちゃった次第です☆

サンタの帽子をかぶらせただけなのに「なぜかツボる」のが、この車のフォルムの妙ですよね。すごく好き。というかアバルト、黒サンタですか。目光っちゃってるし、どんだけ悪いんですか(笑)

 

●FIAT好きに贈るXmasプレゼント特集!

 

あ、124スパイダーはかぶってくれないんですね。やっぱり。(察し)

 

CIAO FIAT MAIL MAGAGINEというフィアット公式のメールマガジン(FIATオフィシャルHPで登録できます)がちょいちょい届くのですが、クリスマスフェアの案内がきていました。

”フィアットとアバルトが贈る、よろこびと歓びのクリスマス”

だそうです。

特に何をするとも書いてない、引っ張り気味なところはいつも通りだなと思いましたが、また続報があるのかもしれないし、あるいは無いのかもしれないし(笑)

ともあれ12/1~9までがクリスマスフェアらしいので、ディーラーさんがヤル気を出すのかもしれません。(年末商戦ですからね~)


パンダもエックスもがんばってますけど、やはり元祖500系が絵になるんですよね。こういうの。

ロベルト・ジョリート氏はいいデザイン描いたなぁ。トレピウーノの時点でほぼ完成形ですから、そりゃマイナーチェンジの外観変更には苦心しますよね。

 

さてさて、一番上の画像には

”Buon Natale da Torino(トリノの街からメリークリスマス!)”

と書いてあります。

ブォン・ナターレのNataleがイタリア語でクリスマス。Buonはボンジョルノ(Buon giorno)のブォンで、英語で言うところのGoodです。そして、フィアット好きならご存知の通り、トリノはFIATの本拠地であります。

私事ながら、年が明けたらトリノに行ってこようかなと画策している今日この頃なのですが、この時季、ナターレで僕が思い出すのはミラノです。今回はクルマは出てきませんが、自分のための覚え書き程度にここに昔話でも綴っておきましょう。

 

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はじめてイタリアに行ったのは19歳の時でした。写真はその時のもの。ナターレ(クリスマス)のミラノ。

たしか1999年だったから、もう20年か…(感慨深い)

当時はイタリア語はおろか、英語すらまったく話せなかったのに、なぜか?まさかの一人旅です。まあ、その頃から周りの大人からは、『大胆に慎重だよね。』と言われてましたからね。僕は。(基本的には今もそう。堅実ですが、やるからには徹底的にやります。)

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大学に通いながらで、たしか、1年半の調理学校(夜間)を卒業した後だったかな? 早朝にコーヒーショップでバイトしつつ、週末はビストロの調理場で見習いやってた頃。ダブルスクールのダブルワークで、馬鹿みたいに生き急いでいた頃。(若さだね。)

高校3年の終わり頃には、なぜかNHKのテレビイタリア語講座を観はじめていて、どんどんイタリア文化に傾倒して行ったんですよね。

そうそう、以前にも記事に書いたのですが、初めてチンクエチェントに出会ったのもこの頃。

それと、早朝のコーヒーショップの方でも年上のお姉さんにオペラ歌手の方がいた。イタリア留学のための資金を稼いでいたのだ。そんなこんなで、ものすごく出会いに恵まれて、20年もイタリアに関わっているのだから本当に「縁は異なもの味なもの」である。

 

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まあ、しかし、初めてのイタリアは「ハートフルな温かいエピソード」なんてモノがあるわけでもなく、まったくもって寂しすぎる一人旅でしたねぇ。すごくビクビクしてました。いや、マジ怖かったっス(笑)

先述の通り、当時は大学生でもあったので、冬休みに半ば強引に初イタリア渡航でしたが、繁忙期のクリスマスど真ん中に、よくも厨房を抜け出して行ったものです。

でも、あの厳しかったシェフ(ひと昔前の、職人気質なシェフらしいシェフでした)が、これといって何も言わずにスンナリ行かせてくれたのは、当時は特に何も思わなかったけれど、歳を重ねた今となっては分かる気はする。

なーんて、内心ものすごく怒っていたかもしれないけど(苦笑)

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たしかミレニアムの2000年問題が話題になっていた時で、年を越さずに年内帰国したのですが、惜しいことをしたもんだと今となっては後悔しきり。Capodanno(カポダンノ=年始/正月)も体験してくればよかったな、と。

まあ、でも、あの時の心境としては、早く帰りたくて仕方ないくらい心細かったです。お恥ずかしいコトに。

知り合いはいませんでしたし(オペラ歌手のお姉さんが既にミラノに留学してたけど帰国中だった)、ナターレ当日なんてお店なんか軒並み休みだったし。

仕方なく、イブにPeckで買ったプロシュットとパン(上の写真)を一人寂しく…

ちなみにPeck(ペック)は1883年ミラノ創業のイタリア食材専門店。日本では高島屋にショップが出てますが、ミラノに本店を構える高級食料品店です。

パスタをはじめ、オリーブオイル・チーズ・生ハムなどの上質な食材が揃っていて楽しいです♪

ミラノに行ったらぜひお立ち寄り頂きたいスポット☆

 

さてさて話を戻すと… 正直、街を歩いてるだけでも怖かったですね。初ヨーロッパの十代の小僧には。

初日から、なんか怪しいヤツに道を訊かれたと思ったら違法なチェンジマネーを示唆されましたから(東洋人の若造に訊いてる段階であきらかにオカシイのだ)

そして、その直後に、警察を名乗る男に止められてパスポートと財布をチェックされましたし。(私服だったからニセ警官かもしれないけど)そんなこんなで、出鼻からガッツリ挫かれて19歳の坊やはすっかり萎縮してしまいましたとさ☆

ただ、大のオトナでも油断できないのは今でも同じですから、個人で渡航する方はご注意あれ!

 

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…でも、うん。そう。
ナターレのミラノなのだ。

慌ただしくも踊る街は、とても印象的だった。これが本当のクリスマスなんだな、と素直に思った。

カトリックの国。 歴史の国。イタリアのクリスマス… 素晴らしかった…!

 

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ビビりまくってた僕にとっては、ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)が安息の場所でしたが、すぐ隣のガッレリーア(アーケード街)の本屋さんなんかも居心地が良かったのを憶えています。トイレも、リナシェンテというデパートにせっせと足を運んでいた(笑)

いつか、また、もう一度イタリアでクリスマスを過ごすことは夢です。(叶えられる範疇なのでたぶん行きますが)

そのときは、ぜひ向こうで年も越してきたいですね。

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