旧チンク(Nuova500) フィアットの歴史

最初の旧チンク!ヌオーバ500『プリマ・セリエ』はシンプルの極み!2代目FIAT500の誕生日は1957年7月4日

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2019年、イタリア最大の自動車メーカーFIAT(フィアット)は創業から120周年を迎えます。その節目となる年のジュネーブモーターショーでは最新型のEVコンセプトカー「チェントヴェンティ Centoventi」が発表され、フィアットも本腰を入れて電気自動車市場に挑む未来志向の方針を明確にしました。

次期フィアットを担うEV車&ハイブリッドカーの先鋒は、先述のチェントヴェンティで明示されたように「フィアット・パンダ」の新型という位置付けですが、最新モデルのフィアット500もEV車が設定されるのは既定路線のようです。

 

さて、日本では旧チンクや2代目チンクと呼ばれるFIAT500(フィアット・チンクエチェント)は、ご存知イタリア・トリノのFIAT社が生み出した戦後の名車の一つです。

ルパン三世とチンクエチェント

ご存知の通り、日本ではルパン三世の愛車(認知度としては主にカリオストロの城)として知られるイタリアの可愛いクラシックカー。劇中では旧車とは思えない爆走(笑)を披露していますが、スーパーチャージャーの付いてない実物のチンクもそれなりにタフで骨太なクルマで、ゆうに半世紀が過ぎているのに元気に走り回ってる現役500は多いのです。

そして、2007年には同名を引き継いだ新型フィアット500もデビューしていますよね。

余談ながら、FIAT・イタ車系のミーティングなどイベントで集まった新旧FIAT500のオーナー同士で呼び方が混同してしまい会話が食い違うこともしばしば。次世代の5代目フィアット500が登場すれば更にややこしくなることは必至でしょう(笑)

そもそも先代の旧フィアット500自体が、車名としては『Nuova500 ヌォーヴァ・チンクエチェント』、つまり「ニューチンクエチェント」という呼称を持つので、いささかややこしい。(トポリーノの愛称で知られる”ご先祖様”こと初代500を継承したモデルなのです)

旧チンク、2代目チンクといった呼び方の他には、オールド・チンクとかクラシック・チンク、ヴィンテージ・チンクなどもあるし、はたまた「古い方」「新しい方」など様々。

おかけでネット検索などでは、キーワードをうまく複合させないと、お目当ての検索結果を引き出せなかったりもしますよね。ちなみに、「チンク」という愛称・ニックネームは日本独自のもので、イタリアでは言わないですし、たぶん通じないでしょう。イタリア人達の呼び方は「La Cinquecento(ラ・チンクエチェント)」もしくは愛好家なら「Cinquino(チンクイーノ)」です。

 

■ヌオーバ500が誕生したイタリアの時代背景

ここでは旧チンクこと2代目の『Nuova500 ヌオーヴァ・チンクエチェント』についてまとめてみましょう。

先述の通り、Nuova500(ヌオーバ500)は、1957年から1975年の18年間、FIAT社で生産されたイタリアの国民車とも呼べる20世紀の世界的名車のひとつ。

姉妹車にあたるフィアット600(セイチェント)の成功を受けて開発されました。戦後復興の過渡期にあった1950年代のイタリアにおいて、自家用車を購入する経済力がなかった大衆層の足といえばオートバイでした。第二次世界大戦後のイタリアの自動車市場は、「Vespa ヴェスパ」や「Lambretta ランブレッタ」といったスクーターに食い込まれ、「今日のスクーターは明日の自動車より便利」というキャッチコピーのもと、主にヴェスパは爆発的なセールスを誇っていたのです。

他のヨーロッパ諸国においても、より小さい車へと時代の流れは移行しつつあった当時、ドイツではライセンス生産されたバブルカー(超小型自動車)のイセッタが人気を博し、フランスでは歴史的名車となるシトロエン2CV(クラリス様の赤い逃走車)を市場に送り出していました。

そしてイタリアのFIAT社では、スクーターやバブルカーに向けられた消費者の関心を取り戻すため、ダンテ・ジャコーザ(Dante Giacosa)にフィアット600より更に小さくて安い車の開発を依頼します。すでに充分コンパクトだった600(セイチェント)をさらに小さくしたミニカーの開発。その依頼に応えダンテ・ジャコーザが世に生み出したのがヌオーヴァ・チンクエチェントなのです。

 

■1957年7月から始まるFIAT500の歴史

TopolinoとNuova500(500L)とダンテ・ジアコーザ

フィアット社のニーズを満たすためダンテ・ジャコーザが着手した「Nuova500」のエンジンは、いくつかのエンジンをジャコーザが実験して最良の結果を出した空冷直列2気筒のOHV479ccエンジンを採用。FIAT600(セイチェント)同様にリアに搭載されました。

それは、2つの空冷シリンダーを備えた4ストロークのガソリン・プロトタイプユニットで、さまざまな構成でテストを繰り返し、選択されたのは、頭上屋根付きの燃焼室とロッド、ロッカーアームを備えたタペット、1気筒あたり2つのバルブ、強制空冷、479ccの排気量、13馬力を供給する2つの平行シリンダーを備えた縦型エンジン。ピストンの設計上、ユニットが振動から完全に解放されることは無かったのだけど、それはNuova500の特徴の1つとなる、後部に固定された小さいリアのスプリング・マウント(サスペンション)の上にエンジンを取り付けることによって軽減。

日本風に言えば「おかもち状態」と言えますね。

金属バネを組み合わせたサスペンションを介して、出前バイクに載せられる「岡持ち」のようにエンジンが吊られていて、エンジン自体の振動がバネで緩衝される構造になっています。これは次に解説する1957年から1975年までの全ての500モデルに共通します。

 

■500N Prima Serie プリマ・セリエ(ファーストシリーズ)

1957年の Nuova500 Nの広告。女性は1955年のミス・イタリアとのこと

 

1957年 7月1日、新しいチンクエチェント「Nuova500」は、ヴィミナーレ庭園で当時のイタリア首相に先行してお披露目され、その翌日7月2日にトリノのFIAT本社でジャンニ・アニェッリなども同席する中で発表されました。

そして、同年7月4日から発売が開始されます。イタリアの自動車の新たな歴史が刻まれ始めた瞬間なのでした。トリノの街ではヌオーバ・チンクエチェントのパレードが行われ名だたる著名人も招待されたそうです。その中には、後のローマ法王パウルス6世となるモンティーニ枢機卿やベルギー国王レオポルド三世などもいたという。

Nuova500の名は、初代500である『Topolino トポリーノ』の系統としてその共通性を強調するために選ばれました。機械的な面だけでなく、まさに「新500」として定義づけられた理由としては、最初のチンクエチェント(トポリーノ)と同じく大衆層をターゲットとした低価格車を目指したからです。

設定された価格は、その当時の労働者の約13ヶ月分の賃金に相当する49万リラ。徹底的に製造コストを抑えることで、ヌオーバ・チンクエチェントは当時としてはかなり値段が安い車としてデビューし、600(セイチェント)よりも二割も下げられました。

 

最初の旧チンクこと2代目フィアット500(Nuova500)である第1シリーズ『Prima Serie プリマ・セリエ』(イタリア語で”ファーストシリーズ”)は1957年7月の発売開始から、わずか5ヶ月だけ販売された、その名の通り、ヌオーヴァ・チンクエチェントの最初期型モデルです。

特徴は全てに渡ってシンプルの極みであること。サイドウィンドーは500シリーズおなじみの三角窓以外はハメ殺し、シートは前2脚のみ、ヘッドライトリムやホイールキャップ、モールなども無く、徹底的にコストダウンを重視して仕上げられたモデルで、ひじょうに簡素化された設計でした。

最初期型はコンバーチブルのみで、屋根は一枚の幌だけで覆われています。後にお馴染みのハーフオープン・タイプのサンルーフに変更されますが、これが歴史的にもFIAT500の最大の特徴の一つとなるキャンバストップの始まりなのでした(そもそもは車内空間を無限化することによって振動を軽減させるための苦肉の措置だったのは有名な話)

初代500トポリーノと同じく、通常は2シーターの二人乗りだが、座席の後ろには必要に応じて使えるベンチシートを用意し荷物の収納スペースも設けられています。

 

広告アピールは、増えてきた女性ドライバーに向けて展開。4速マニュアルミッションは女性ドライバーから敬遠されていたそうだけど、ダブルクラッチを楽に行うシステムを装備したのだという。(※そうは言ってもオートマ化された現代の感覚ではその操作は容易ではないですが苦笑)

しかし、ヌオーヴァ・チンクエチェントは製造コストを徹底的に抑えたため、ホイールキャップすら装備されていませんでした。また、ボディパネル、ドアパネルも、節約のため一枚の金属板から作られた簡素なものであったし、ドアは車体にボルトで止められていただけ。ボンネットには燃料タンクと通気口のみを装備。

有り体に言ってしまえば、あまりにも経済的に作り過ぎて「安っぽく」なり、最初期化型プリマ・セリエのセールスは苦戦してしまったそうな。先述のヴェスパやランブレッタなどの大衆がアシとして使っていたスクーターを下取りしてでも、500を販売するテコ入れを展開したそうですが、バイクに慣れた一般市民が自動車に抱いていたイメージは「憧れ」や「夢」だったのでしょう。いくらか貧相であってもコスパの良さを追求した当初のFIAT社の見通しは大衆ニーズと合致していなかったのかもしれないですね。

そこで、1957年11月から、Nuova500は2つのバージョンで販売されることになります。

まずは『500 Economica エコノミカ』で、当初の49万リラから46万5千リラに値下げしたモデルとして売り出されます。そして、『500 Normale ノルマーレ』は改良を施されたバージョンアップ版のファーストシリーズで、据え置き価格の49万で販売。これは自動車の歴史の中でユニークなケースらしいのですが、ノルマーレ(ノーマル)の発売前に既に販売されていた500(つまりエコノミカに分類される)の所有者は、小切手で2万5千リラの差額の払い戻しを受け取ることができたそう。そして、無料アップグレードをFIAT公認サービスステーションが請け負ったという。(ただし、このサービスは1957年7月から1957年9月までの3ヶ月のみの期間限定)

 

●500N economica エコノミカ

1957年11月に、同年7月に発表されたNuova500のファーストシリーズ(Prima Serie)は、トリノモーターショーのためにいくつかの変更を受けることになりました。それが「Nuova500 Economica(エコノミカ)」でした。基本的にはプリマ・セリエの最初期型とほとんど同じながら、エンジンは4200rpmで15馬力を絞り出し、デフレクターを追加し、窓も開くようになるなど、いくつかの改訂が加えられました。時速90kmに到達。●エンジンコード(原動機型式):110,000

 

●500 N Normale ノルマーレ

大衆からの需要を増やすために、トリノモーターショーで提示されたNuova500ファーストシリーズ(プリマ・セリエ)のバージョナップ版。●エンジンコード(原動機型式):110,000

4000rpmで15馬力を捻り出す479ccのエンジンを装備し、前述のエコノミカ(Economica)同様、時速90kmに達する動力性能。そして標準装備品は豊富となり、アルミフレーム、サンバイザー、フロントボンネットのアルミプロファイルと側面のモールディング、クロームメッキのアルミホイールカバー、開閉式ウィンドウ、オープニングストップ付きのデフレクターを備えたヘッドライトを備える。 さらに後部座席の天井にパッドが付けられ(頭がぶつかるから)、ステアリングコラムにウィンカーレバーを追加、センターコンソールにウィンカー表示ランプが設置。後部ボンネットには「Nuova500」とエンブレムバッジが付けられました。それでいて、価格は最初期のプリマ・セリエと同様に49万リラで据え置き。

これ以降に、2代目500ことヌオーバ・チンクエチェントの爆発的なブームを迎えることになります。この後に登場する次期フィアット500、モデルチェンジされたDタイプ500D、そしてFタイプ500Fで、60年代にはチンクエチェントの躍進は最高潮に達することに。Nuova500の大ヒットはFIATが小型車を得意とするようになった契機ですが、前モデルの600(セイチェント)以上の成功を収めたフィアット社の売上は急上昇し、イタリアにおける社会現象となりました。安価なクルマしか買うことができない労働者層は当然500を買い、余裕のある中流階級層もまた500を好んで買う、まさにイタリア人の誰もがNuova500を買い求めました。

そしてフィアット社の当初の目標通り、ヌオーバ・チンクエチェントはスクーターにも十分対抗することができたのでした。その燃費はバイクにも匹敵したし、自動車としての経済性も高かったのです。それでいて、その小さな車体ゆえヴェスパと同じくらい簡単に駐車スペースを確保。道路規制がまだ緩かった当時のイタリアで、ヌオーバ・チンクエチェントは渋滞する道路であっても、まさに小ネズミみたいに縫うように走ることができました。

そして、土日の両方を休むいわゆるイングリッシュ・ウィークエンドを過ごすことができるようになった労働者の間では家族で週末にピクニックに出かけることができる大きさの車として大いに歓迎されることになるのでした。

 

●500 Sport スポルト/スポーツ

Nuova500の第1シリーズ(Prima Serie)においては、ハードトップの付いた『500 Sport スポルト/スポーツ』も誕生しています。

1957年7月の販売開始から序盤に停滞気味だった新しい500の売上を改善するために、1958年に「500 Sport」を "Berlina"と "Berlina Tetto Apribile"の2つのバージョンで、より大きなパナッシュを持つ車を提供するために発売。既にモータースポーツが盛んだったイタリアならではの限定車です。

後者の「ベルリーナ・テット・アプリービレ」は、ハーフルーフのキャンバスを備えた最初のチンクエチェントです(Tetto Apribileは、イタリア語で”開いた屋根”という意味)。

この後、旧チンクエチェントおなじみのサンルーフ形式が採用されることになります。

変更は多数。まず500スポルトの外観は、白のボディの側面に沿って赤いラインを配色した特徴的なツートンカラー。エンジンの変更点は、479ccから499.5ccに排気量をアップし、タイミングの異なる新しいスチール製カムシャフト、磨き上げられたサクションダクト、強化されたバルブスプリング、圧縮比は向上。メインジェットとベンチュリー管が付いているWeber 26 IMB2 キャブレターを備える。後に後期型の500Rで採用された方式で、エンジン出力は21.5馬力に上がり、最高速度は時速105kmを超える。(このエンジンは後のモデル500D、500F、500L、Autobianchi Bianchina Specialの各バージョンでも応用される)

価格は56万リラに設定。その後まもなく、サンルーフバージョンもセットアップ。発売後の最初の数ヶ月で、500 Sportはスポーツ走行でも早速結果を出し始める1958年のホッケンハイム12時間を含む多くのレースで優勝し、500ccまでのカテゴリー輝かしい戦績を残すことになります。フィアット社が望んだ通り、公衆に向け広くアピールすることに成功したのでした。

●エンジンコード(原動機型式):110,004

 

●コンバーチブルとサンルーフ

1959年、500は4人乗りの座席を備えジュネーブモーターサロンで発表。

NormaleとSportにサンルーフを組み込んだハーフオープンルーフのモデルを設定。フロアは後部座席に座る人の足のために前部座席の下に修正が加えられる。さらに後部座席の天井部分にパッドを設置することで4人用の乗用車として正式に承認。それに伴い後車軸は強化パーツとなり、エンジン出力も16.5馬力まで上げられ、最高速度は95km/h。

価格も変更され、コンバーチブルが39万5千リラ、サンルーフ・モデルは43万5千リラ。

同年10月には、後部ライトに反射板を追加。ヘッドライトの下のグリル(空気取り入れ口)は無くなり、代わりに丸型の前方向指示器(ウィンカーランプ)を設置。

 

■500 Americana アメリカーナ

1957年12月から、Nuova500はアメリカにも輸出されました。

しかし、その小さすぎる車体サイズと小さな空冷のツインシリンダーエンジンの騒音のために、アメリカの大衆には好奇の目と共に少なからずイタリアへの同情心も呼び起こしたという。

イタリア国内市場向け、そしてヨーロッパ市場向けのバージョンと比較して、米国に輸出されたNuova500(Normale、Sport、そして後の500D、およびJolly)には大きなヘッドライトが付いている(日本では出目金と言われる)。当時のアメリカの道路交通法によって定められた光軸の高さに合わせるためだ。方向指示器やバンパーも大きい。

アメリカの基準に従って作られたモデルの500 Americanaは、数年後には非常に似たデザインでイタリア市場にも登場したという(ただし、ライトポジションは異なる)。

そんなFIAT500 ”アメリカ・タイプ"ではあったが、人々の関心はすぐに消え、1961年に輸出も終わってしまいました。

 

■500 Giardiniera ジャルディニエラ

医者、労働者、主婦にいたるまで、あらゆる階層の人々に受け入れられ始めたヌオーヴァ・チンクエチェント。さらに変貌していくイタリアの生活様式にあわせて500も変わってゆきます

その第一弾として、1960年5月にフィアット500に『Giardiniera ジャルディニエラ』というステーションワゴン・タイプが発売される。『Giardiniera ジャルディニエラ』と『Commerciale コンメルチャーレ』という2つのワゴンバージョンの500だ。後者は"Van"とも呼ばれるモデルで、後部サイドのガラス面がないのが外見的な特徴です。

かつての初代500ことトポリーノには『Topolino Giardiniera Belvedere(ジャルディニエラ・ベルヴェデーレ)』が存在しましたが、しばらくの間エステートワゴンファミリーワゴン)は不在だったのです

フロントエンジンの先代500トポリーノと異なり、リアにエンジンを搭載したNuova500は、拡張積荷区画(ラゲッジルーム)の確保は困難と思われました。しかし、繰り返しとなりますがデザイナーであるダンテ・ジャコーザ(Dante Giacosa)はやはり天才なのです。技術的にシンプルな解決策を考案してしまいました。

基本的にはシリンダーを横に切り落とし水平にされ、エアコンベアーが修正され、遠心ファンはラジアルファンに置き換えられます。空気吸入口は後部の支柱に組み込まれる。排気量は500スポーツが装備するエンジンと同じ。出力は17.5馬力を供給し、最高速度は95km/h。(このエンジンは、後に500ジャルディニエラに加わる”Autobianchi Bianchina Panoramica”でも使用)

ボディは根本的に修正され、ピッチは10cm伸びています。後部窓は長方形でスライド式。後部座席の背もたれは積載スペースを広げるために折り畳むことができます。ただし、当初は角度が残り平坦ではなかった。

ジャルディニエラの全長は3,185mm 高さ1,354mm。1960年10月から1965年3月にかけて、次期フィアット500の新モデル500Dのリリースに伴う生産過程でジャルディニエラも同様に改良が行われました。1965年3月から1967年1月までのモデルは、同様に500後期型のFタイプ500Fがベースとして採用されています。

 

※この記事は加筆中です※

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